M女性にとっての「ホンモノのS」
昨日、SNSで「ホンモノのSってなんだろう」という発信を見掛けました。
とても哲学的で難しい問題ですね。
せっかくなので、私の経験も踏まえて今日の記事にしてみたいと思います。
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人の数だけある
以前にこんな記事を書かせていただきました。
【雑記帳】セイギノミカタ参上 SM的なブログを運営していると時々現れるセイギノミカタについて書いた記事です。 |
この記事でも書いた通り、人の思考や嗜好は人の数だけあると考えています。
ですので、絶対的な正解はないと考えています。
私の中にも「Sとしてこうありたい」「Mにはこうあって欲しい」と望むことがあります。
逆に、「こういう行動はSだとは思いたくない」「こういう言動はMとは違うと思う」と感じることも多々あります。
それが私にとっての「ホンモノ」と「ニセモノ」の基準だと考えています。
ですが、私が考える「ホンモノ」と「ニセモノ」の基準も他の人からみたら「それがホンモノだ」と感じる人もいます。
逆に、私が「ホンモノ」と認識している基準を「ニセモノ」と感じる人もいるでしょう。
そう考えれば「ホンモノ」も「ニセモノ」も人の数だけあると言えるのです。
犬飼はニセモノ
実際に私が経験したお話です。
まだネットなどが普及していなかった頃、私もお相手を探しにSMバーなどに通っていた時期がありました。
そこでお店にいる男性とSM談義をすることが何度かありました。
私は女性に苦痛を与えるサディスティックな行為も好きですが、どちらかというと女性を精神的に服従させ支配するドミナント的な行為を好んでいました。
今でこそ、サディズムとドミナントの違いは認知されていますが、当時はそういった分類もありませんでした。
そんな話をすると、その場にいた自称「ホンモノのS男性」からは
「生ぬるいプレイしかできないヘタレ男」
「ボディピアスや針プレイ、人体改造するのがホンモノのSだ」
「有刺鉄線やスタンガンなどで女を痛めつけてこそホンモノのSだ」
「皮膚が裂け出血するほど鞭打たなければSじゃない」
「嫌がる女の痛めつけて、その悲鳴で興奮するのがホンモノのSだ」
などと言われ「お前はニセモノのS男だ」と決めつけられました。
他にも、SM界隈の知人に誘われて、当時のパートナーを連れて参加した縄会での出来事でも不快な経験があります。
私は女性を拘束するために緊縛することはあっても、吊りをすることはありません。
なぜなら、それほどの技量がないと自覚しているからです。
また、緊縛の目的が「あくまでも拘束すること」であるため、緊縛そのものや女性を吊ることが目的ではないからです。
そんな私を知って、その縄会の主催者が私のパートナーに
「あんな吊りのできないニセモノS男と別れて、吊りの出来るホンモノのS男の俺の奴隷になった方がいい」
と、何度もしつこく連絡してきたこともありました。
排他的で攻撃的
SM界隈には何故か、こうした「他人の思考や嗜好を否定したがる人」が多数います。
特にネット上では「自分の考えるSM理論を振りかざす人」や「自分の持つSM理論について議論している人」が多数います。
誰しもが「ホンモノ」と「ニセモノ」の基準を持っていますし、人それぞれの思考と嗜好があると思います。
ですが、総じてそういう議論の多くは、自分とは異なる他者を否定するような排他的で攻撃的な議論が多いように見受けられます。
では、なぜこのような排他的で攻撃的な議論になるのでしょうか。
それは「圧倒的にM女性が少なく、一人でも多くのS男性を蹴落とさなければパートナーが作れないから」ではないかと感じています。
M女性に認知してもらうために「いかにS男性として優れているか」「いかに自分が正しいか」を誇示する必要があるのです。
そうすることで少ないM女性に自分の優位性をアピールすることができ、ひいてはパートナー関係を結ぶことにつながるのです。
そのためには他のS男性を蹴落とす必要があるので、こうした排他的で攻撃的な議論を無意識のうちにしているのだろう…と私は感じています。
実際に、紳士的で常にパートナーがいるS男性は温厚な方が多く、こうした無用の議論や諍いには参加していないように見受けられます。
それは、こういう「人財」に当たる男性が「他の男性を蹴落とす必要がない」と感じているからではないかと感じています。
【S男性向け】人罪排出 「人材輩出」ではなく「人罪排出」について書いた記事です。 |
大切にして欲しいもの
こうした「ホンモノ」「ニセモノ」の議論の中で、大切にして欲しいものは「自分自身の基準」です。
ここまで書いてきた通り、誰しもが「ホンモノ」と「ニセモノ」の基準を持っています。
それは本人にしか理解できないものですから、誰も否定することはできません。
ですので、誰かに何かを言われたり、他人に否定されたとしても、ご自身の基準を大切にして欲しいと思うのです。
そして、その揺るぎない基準に従って、ご自身が「ホンモノ」と信じるお相手をパートナーにして欲しいと思います。
他人がどう思うおうと、他人が何と言って否定しようと、それが本人にとっての「ホンモノの主従関係」であり「ホンモノのS」なのだと思います。
まとめ
「ホンモノ」と「ニセモノ」の基準は人の数だけあると思います。
そこに絶対的な正解はありません。
私自身も「ホンモノ」と認めて従属してくれるM女性もいれば、「ニセモノだ」と否定された経験もあります。
SMの思考や嗜好は人それぞれのこだわりも強いため、持論を強く押し出す傾向が強く、排他的で攻撃的な議論になりがちです。
また、M女性の絶対数がS男性の人数に比べて圧倒的に少ないことから、パートナーを得るための競争が過酷であることも諍いの原因と考えています。
「ホンモノ」と「ニセモノ」を判断する上では「自分自身の基準」を大切にして欲しいと考えています。
なぜなら、「ホンモノ」と「ニセモノ」は人の数だけ基準があり、その判断基準は主観的なもだからです。
その自分自身の判断基準に従ってお相手を選ぶことが、その人にとっての正解だと考えます。
その人の判断基準で選んだご主人様がその人にとっての「ホンモノのS」であり、そのご主人様と築く関係がその人にとっての「ホンモノの主従関係」だと思います。
M女性のみなさまも周囲の雑音に惑わさず、ご自身の判断基準に従ってお相手を選ばれますようお勧めします。
それがご自身を幸せにする「ホンモノの関係」を築くお相手だと思います。